まだ自主性がなかったころ。

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【keicaのウィブルストーリー 1】主体性

今のわたしからは、想像もつかないといわれるでしょうけど

わたしは昔からこんな主体的で自主性がバリバリあったわけではないんですよ。

今でこそ「うざさなら、負けない!」と修造と張り合えるくらい
暑苦しいほどの主体的自主性ありありで、少々先走り痛い目にあうって
こともしばしばあるわけですが。

 

その昔、最初に主体的自主性を発揮したのは、社会人1年生の18歳。
それまでに親のいうこと聞かないとか、かわいらしい類の反抗は
健全にしてましたが、全く自分を大事にしていない奴でしたんですな。

 

正直にいうと、自分のことなんてどーでもいいって思ってましたから。

 

どーせ、(元々の家柄も)大したことない庶民やし、団地のお嬢さんよ
なんて冗談言えるくらいの家庭に育ったんだし、成績がいいわけでなし
器量もまあ普通、背が低いから職業モデルとか皆無やろうし、、、、。

 

ま、なるようにしかならん。っていうて

諦めてましたね。完全に、自分のこと。

 

学生の頃も並べられた選択肢の中から選ぶことはできても
選択肢を自分で並べるなんて、皆無。それが出来ることすら
知らなかったですよ。

 

うちの家は、完全に父親の社会的価値観で成り立っていたので
「お前は女子やから、大学いかなくて良し」で、高卒決定。
(留学とかしてみたかったんですけどー短大でもいいんですけどねー)

「就職するんだから、就職先に恵まれる学校に」で、商業高校決定。
(インテリアの専門学校へいきたかったのになーーー)

「経理や事務が嫌なんだったら、販売になるよ」で、大手小売り量販決定。
(バブルだったから、営業とかしてたら好成績だったかも)

 

 

習い事も自分で選ぶっていうよりも、親が習わせたかったものを
「習ってみるか?」といわれ、どっちでもいいもんだから
一回やってみよう~って気軽く「うん」ってこたえたら
毎日練習せなあかんかったーーとか。

自分で選んでないから、やりきる楽しさも目的もないし、続けたくない
けど、最初の道具を揃えてもらったりする投資が大きい物は余計に
やめたいっとはいえても、やめられることはなく。。。。←そこも流されてるw

 

結局、自分で何一つ「考えてなかった」んですよ。
それと自分のこと「あきらめてる」

 

そのくせ、妄想は爆裂で、現実から数万キロ離れているようなことは
いくらでも想いを馳せることができる。けったいな奴でした。

空想の家、空想の生活、空想の仕事・・・・・。全部絵空事で全く
現実味がない話ばっかり。

しかも、実現させる気持ちもありませんし。w

 

はい、「夢見る夢子」ってこんなやつのことをいうんですよねーきっと。

つづく。。。

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